今日あったお話です。
ブログですから秘匿性が高いと判断し、書かせていただきます。
ご主人はとっくに他界した80歳過ぎのご婦人、早い話おばあちゃんですが、本日もリハビリ治療のために当院に来院されました。
ご自身から話してこられたのですが、17歳のお孫さんがおられ、病院に連れて行って大変だったという話から、ご自身の身の上に話が及びました。
おっしゃる所によりますと、50代のご長男さんは4~5年前脳出血で倒れ現在リハビリ中。
長男さんの奥さんは、10年ほど前サラ金で多額の借金を勝手に作り、そのまま家出。借金はおばあちゃんが、年金や預金からやっとのことで返済したとのこと。
病気療養中のご長男に代わって孫二人(ご長男も含め)の面倒は全て自分が見ているとのことでした。
「自分が死んだら、この家はどうなるんだろう。」
と半分心配顔、半分気丈に言われます。
この患者さんは頭がハッキリしていて、受け答えも正確で認知症のかけらもないかたでして、こういう人は私の経験上長生きされます。
ご本人は口では、「長生きしたくない」といわれますが、お年寄りは皆さん本心からそう言っているわけではありません。
高齢になってこんな苦労したくないという気持ちと、自分がしっかりして家族の面倒を見なければという気持ち両方抱えながら、日々生活しているものと拝察します。
私はほとんど相槌だけ打ちながらお話に聞き入りますが、最後に一言「大きな不幸があっても、小さな幸せがあれば、人は生きていけるって言いますよね。」
「大切なご家族と団らんしている時は、幸せでしょう?」
といってリハビリ室に送り出しました。
”負”があるから”正”がある。
”影”があるから”光”がある。
”苦”があるからこそ”楽”がある。
と自分自身にも、言い聞かせますが、本当は苦労が多かったであろう人生の最後の場面で、言葉だけでも「生きていたくない」とお年寄りに言わせたくはありません。
患者さんの今ある”痛み”が少しでも柔らぐように、私はせめてものお手伝いをさせて頂くだけです。